『ファンタジーと創造』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 「絵に描いた餅は食えない」ということばがあります。これは役に立たないものの例えであり、絵は腹の足しにはならないということです。しかし絵を愛する人にとっては、この言葉がただ全てを「食べること」=「実用」の価値でしか計っていないことは明白です。しかし「身体の栄養価」は食べ物にはあるけれど「精神の栄養価」は絵のほうが断然高いのです。ゴッホの絵には世界中の人が列をなして並び、感動して帰っていきます。
 絵に描いたのもは空想であり非現実である。だから食べることができない。価値がない。この考え方は一見リアルな現実主義者のようです。しかし全てを実用で捉え、数量化できるものだけに価値をおくと、心が荒んできます。現代のような行きすぎた資本主義と経済は、精神の不安定を作り出す。物質的に豊かである反面、精神的な栄養失調の状態にあるからです。現実に対するファンタジー(想像性)が欠乏している。
 不足したファンタジーを補うため、人々は美術や映画、漫画やアニメといったファンタジーに没頭します。それは精神のバランスを取るためには欠かせないことです。しかし入り込みすぎて現実を見失う人も中にはいます。そういった不均衡を、ファンタジーに接しながらもほどよく回避する方法があります。それは「自ら創造する」ことです。現実(アナログ)において自分の価値(ファンタジー/非現実)を作り出すということ。これはある意味では矛盾です。しかし「矛盾を許容する力」が精神のバランスを作り出します。絵は食えないからこそ心の栄養となる。絵というファンタジーを、現実において“自分らしく描く力”が「心のバランスを保つ力」となるのです。

AUTOPOIESIS 130/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

『キツネと葡萄②』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 自分を守るために作り出した幻想に逃げているあいだは、現実を受け入れることが出来ません。イソップのキツネは上にあった葡萄を下にみることで一時的な危機を回避しました。でもそれでは葡萄を手にすることは永遠にできません。葡萄を手にするには、幻想に助けを求めるのではなく、自分が自分を助けるという前提で考えなければなりません。
 キツネは届かないところにある(現状では上にあって難しそうな)葡萄を下に見ることで難を逃れました。しかしそのとこで、葡萄は現実の世界から幻想の世界へと追いやられてしまった。自ら手に取ることの出来ない世界へと欲しいものを追いやってしまったのです。自信がないと挑戦するまえに先回りして、欲しいものを不可能な世界へ追いやってしまう。キツネはちょとした困難にたいして価値をひっくり返して逃げるという癖に気づかなければなりません。
 葡萄に届かないなら、その差を埋める方法を考えてみよう。長い枝をもってきて振り落とす。梯子のようなものを作る。あるいは誰かと協力する。とにかく「いまの自分ではまだ無理だ」という事実の受け入れが土台となって知恵が働きだす。あるいは訓練などで力を身につける。そんなこと必要ないという思いに逃げ込めば、すべてが幻想(不可能)になる。結局キツネは、美味しそうな葡萄のありかを鳥におしえ、手伝ってもらい一緒に仲良く食べたのでした。おしまい。

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『キツネと葡萄①』

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 たたわわに実った葡萄。それを発見したキツネは葡萄を取ろうとする。しかし木が高すぎてどうしても届かない。そして最後にキツネはこう考える。「あの葡萄はすっぱくて食べられない」と。そしてその場から立ち去ってしまう。これはイソップの有名な話しですが、自分の力の無さを正当化する話として一般化しています。つまりキツネは現実を受け入れられず、自尊心を守るために自分が作り出した幻想(物語)に逃げ込んだのです。
 キツネは葡萄が欲しかった。しかしどうしても葡萄をとる力が無かった。その事実を受け入れることは自分が負けた(あるいは損をした)ことを認めることになる。自分の力不足で自分が負けたことを認めたくない。そこで葡萄の価値を低める。相手を低く見ることで、相対的に自分を高めて防衛する。このような自己防衛の手段は、何かに対して乗り越える自信がないときにもなされます。あんなものに価値はないと。
 イソップのキツネに見られる「価値の転倒」は、哲学者ニーチェが指摘した「ルサンチマン」という概念とおなじものです。葡萄に対するキツネのように、ローマ人に対するユダヤ人の「価値の転倒」が、キリスト教を作り出したとニーチェは言います。ならばイソップのキツネが作り出した幻想(価値の転倒)は、ある意味では宗教的なものかもしれません。葡萄をとることが出来ないと分かった瞬間、キツネは救済を必要とする存在になってしまった。当然、幻想に救済を求めている間は、葡萄を獲得する知恵を磨き、自己を鍛えなおすことはありません。ではいったい、どのように考えればキツネは葡萄を手にすることが出来るのでしょうか。

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『確率論のパラドクス』

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 赤と黒のルーレットで、赤が5回続けて出る確率はしばしばある。でも100回続くことは生きているうちにはなさそうです。1000回続く確率はほとんど無いと言えるほどに低いでしょう。しかし、もし仮に999回赤が続いて、次にも赤がでる確率といえば、やはり50%ということになる。1000回続く確率がほぼないに等しいのに、次に赤が出る確率は50%。ここに確率論のパラドクスがあります。
 人は知らぬ間に確率でものを考えるようになっています。そうして先を予測しながら生活している。ある程度あたる確率を採用(あるいは低い確率を無視)している。いや、採用した確率が「あたるように生きている」と言ってもいいかもしれません。赤だけ10回は続きにくい。100回はほぼありえない。確かに。しかし目の前のチャンスである「次の一回」だけに絞れば、100回の確率に支配されない次元が広がっています。思った以上に確率は高い。個別的な事例を大きな確率論から切り離すことで、チャンスは自分のものになる。
 ちょっとややこしい言い方だったかもしれません。とにかく一般的に出来上がっている「確率的な常識」は、個人の確率にはあてはまならないということです。この一般的な確率論から自分を切り離すことで、それまでありそうもなかった「成功の確率」が格段に上がるのことになります。
 確率論そのものは強力で、まとまった情報をたよりにすれば“まとまった結果”が予測できます。でも、個別事例に対してはあまり役に立たない。その意味では個人の自由とは「一般化した確率論」(常識)に支配されないということなのかもしれません。個々人のチャンスは、諦める理由が見つからないほどに可能性に満ちているのです。

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『カントの想像力』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 人間は動物である。しかしほかの動物とはちがい随分と進化してきました。最初は単細胞生物(たとえばアメーバー)のような、外部に反応するしかない存在だった。そこから原始的な動物に進化して、脳が大きくなるとともに道具の発明や計画的な思考ができるようになった。そこからさらに長い時間をかけて、現在のような高度な文明を築きあげる存在へと進化しました。
 動物の世界は弱肉強食の世界。それは「食うか食われるか」の二択の世界であり「食うでも食われるでもない」という中間の状態がありません。つまり野放しの「自然状態」には基本的に中間の状態(中間の維持)がなく、つねにどちらかに向かうしかありません。「自然状態は常に二極化する」ということです。
 高度に発達した人間でも、考えることや社会を安定させるという目標を忘れると、すぐに「自然状態」となり中間を維持することができなくなります。つまり弱肉強食の世界に堕ちてしまう。そもそも人間は動物であり、動物は生きるための生存本能としての「攻撃の欲求」を備えています。高度な社会においてもそういった「攻撃の欲求」がいろいろな所で抑えきれずに噴出する。武力というものはその象徴であるし、戦争は人間が「自然状態」に堕した印です。
 戦争抑止の指標が「平和」です。完全な平和はありえないけど限りなくそこへ近づく努力が戦争を抑止する。この「平和」とは「食うでも食われるでもない」中間を維持する状態です。そしてこれは「自然状態」(ある意味で現実)にはなく「想像力」によってしか作りえないものです。現在の国連の理念を作った哲学者のイマヌエル・カントは、お互いの武力をより「高次の組織」に譲渡していくことで永久的な平和状態を作ると考えました。この「高次の組織」も二極化の「自然状態」にはなく、想像力によって維持される中間項です。その平和理念に反する行為が、人間にしか備わっていない「想像力」を失った「原始性に堕した状態」であることは言うまでもありません。「想像力」による「原始性の打破」こそが平和維持と人間進化のプロセスそのものなのです。

AUTOPOIESIS 126/ illustration and text by : Yasunori Koga
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