『タルコフスキーの花』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 以前、映画監督の中で最も尊敬するアンドレイ・タルコフスキーの墓を訪ねたことがありました。タルコフスキーの墓は、パリ郊外のロシア人墓地にあります。彼は検閲の絶えないロシアを離れ、イタリアやスウェーデンで映画を撮り、パリで客死したのでした。そこでパリを徘徊していたある日、花屋で花束を買い、電車で出かけることにしました。
 最寄り駅で下車して、そこからはバスで移動。墓地に着いたは良いのですが、広大な敷地に半端ではない数の墓が並んでいました。当時はスマホもまだなく、タルコフスキーの墓の写真だけが頼り。似たような墓がありすぎて苦労していた所、墓参りの人がいたので聞いてみました。すると「彼の墓がここにあるのか!」と目を見開いて驚いていました。その後2時間ほど探してやっと墓を発見しました。
 墓には枯れ始めた花が瓶に刺してありました。それは数日前に誰かがここへ来たことを示すものでした。そして一匹の猫が墓を守るように座っていました。枯れかけた花を抜き取り、新しい花と交換する。この花が枯れる頃には、またタルコフスキーを愛する人たちが来て、新しい花へ取り替えてくれる。彼の芸術に感動した人たちが、今は亡きタルコフスキーに「ありがとう」と言いたいのです。彼が眠る場所では、いまなお芸術と心の対話が息づいているのでした。

AUTOPOIESIS 138/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『失敗を選ぶ?』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 自信がないと失敗を選ぶという法則があります。失敗を自ら選ぶなんて自虐的で信じがたいと思う人もいるかもしれません。しかし実際には多いのです。なぜ自信がないと失敗を選ぶのか。それは挑戦すると失敗する可能性がある。自信がないと失敗を恐れる。ならば先に自分で失敗を選べば傷つかない。転んで倒れる前に自ら倒れるとうことです。そうして事あるごとに失敗する方を選んでいく。
 もし自分に自信があれば、失敗の可能性が高くても、少ない成功に賭けることが出来る。しかし自信がないとその選択肢がない。さらに失敗を自ら選ぶ手法を正当化するために、また次も同じ方法をとってしまう。この繰り返しを心理学的に言うならば「強迫的反復」と呼べるでしょう。自己正当化のために失敗を強迫的に反復してしまう。これをやめなければ成功できない。
 もし誰かが成功する選択をアドバイスしても、自信がなく強迫的反復にはまった人はアドバイスを無視することになります。いまや失敗が安心に繋がり、成功が怖いという状態になっているからです。そして失敗が、「正しいアドバイスを無視した結果」であることを受け入れる力がないので、正しくアドバイスする人を排除します。そして誤ったアドバイスをする人の意見だけを聞く。これはある意味で最悪の構造ですが、自信を喪失した人に見られる構造です。まずはそのような構造があることを知る必要があります。知ることで初めて抜け出すことも可能となるのです。

AUTOPOIESIS 137/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『本音を表現する』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 人生にはいろんなことがありますが、最終的には自分自身の「納得」をどうつくるかの一点にかかってきます。いくら成功しても、それが自分がやりたい事ではなく、例えば親や社会からやらされたことであれば本音としては納得できないでしょう。しかし現代人は自分以外のことに従い、それをやりたい事だと思い込み、終着点にきて違うことに失望するというパターンがあります。自分が好きなことが分からない、という状態です。
 本当の意味で自分を理解していないと「自分が好きなもの」が見えてこない。自分のことをこれが自分だと思っていても、無意識の自分までは分からない。多くの場合、その無意識に自分の大事な要素があり、それを無視していることで問題が発生してきます。その意味では意識できない無意識の中に本当の自分や、やりたい事が隠れている。
 例えば絵を描いていて、たまたま好きな絵ができるときがあります。意識的な計画をゆるめて、何となく感覚で描くほうが、無意識を含めた自分の全体が出やすい。そこに知らなかった自分と「自分が好きなもの」があります。そしてそれは「納得」を作り出す大事な要素です。このように、体裁ではなく本当の意味で「自分が好きなもの」を描けるようになる能力は、結局は自分自身を理解し、自分の人生で納得を作る能力と重なります。納得は体裁ではなく「本音を表現する能力」によって作られるのです。

AUTOPOIESIS 136/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『生き生きとする方法』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 哲学者のバートランド・ラッセルという人が、人はやすやすと欲望が満たされると無気力になる、というようなことを言っています。つまり努力しなくても欲しいものが手に入るのだから、押し返す壁もない。永遠にノーストレスですべて手に入るなら、最後には無気力になるのも無理はありません。
 たとえば、歌手を目指して頑張っている人がいるとします。その人の友人が、自分が経営している店でギャラをだすから歌ってくれという。さらに知人がイベントで歌う仕事を紹介してくれる。そうして努力せずにやすやすと仕事をもらう経験をすることで、彼は当初のヤル気をなくしていく。こう考えるとヤル気は、簡単でないもを“独力で”獲得しようとする時に発生するものだということが分かります。
 何でも思い通りにいく環境に、長くいると無気力になる。便利な世の中とはいえ、ある程度は、簡単には事が進まない世界と対峙することが、やる気を保つための条件です。なかなか上手くいかない世界で踏ん張ってみる。そして独力で少しずつ「自分の結果」を出していく。自分に合った「押し返すべき壁」を探すことが、生き生きとした日々を送るための秘訣なのです。

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『微妙な捉えかた』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 推理小説の元祖エドガー・アラン・ポーが生み出したキャラクターにオーギュスト・デュポンがいます。デュポンはシャーロックホームズのモデルであり、抜群の観察力と知性で難問を解決します。そのデュポンの言葉に「微妙な捉え方としては横からがよいのだよ」というものがあります。これは「微弱に光る星」を直視すると網膜の構造上みえなくなるので、視線をずらし周辺視野で見ると良い、という説明での言葉です。つまり物事には直視すると消えてしまうけれども、視線をずらし「ぼんやり見る」と現れるものがあるということです。
 現代人は何ごとも数量化して考えます。それによって結果も得られる。しかしそれは数量化できる「直視できるもの」に対する結果です。それに対して自分の「心」に関わることは、形がはっきりとせず数量化もできません。そういった領域では直視すると返って見えなくなる。よって問題がたくさん出てきます。そのような数量化できない世界は、直視せずに視点をずらし、ぼんやりと全体をおぼろげに感じる。そうすると曖昧なものの全体像が見えてきます。
 数量化できない世界は直視すると消えてしまう。たとえば自分は何をやりたいのか、どの方向を選べばよいのかといった問題など。それらは心に関わることで直視しすぎると消えてしまう。つねに変化し輪郭も曖昧だからです。よって視点をずらし全体をおぼろげに感じる。そこには数ではなく質的な何かが感じられる。正面から直視して消えてしまった世界をよみがえらせる。それにはデュポン流の「視点をずらし微妙に捉える」ものの見方が有効なのです。

AUTOPOIESIS 134/ illustration and text by : Yasunori Koga
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