現実に対する仮想とは、アナログに対するデジタルという比較です。アナログは物理的な現実であり、空間的、物質的で、しかも変化するものです。それに対するデジタルは仮想であり、非空間的、非物質的であり、その中は変化しません。変化しないということは、時間がないということでもあります。
現実と仮想の最大の違いは「変化」があるかないか。さらに「時間」があるかないかです。例えばデジタルの花の映像は揺れ動く。変化や時間がそこにあると言う人がいるかもしれない。しかし映像の花は決して枯れない。物理的な変化がありません。あるのはコーディングされた動きだけです。よって前に戻ることができる。現実は過去へ戻ることが出来ません。変化が連続的に上書きされ続けるだけです。
現実を情報化し、仮想で扱うと便利です。変化せず操作しやすく、非物質のために場所もいらず、複製や加工も簡単です。いまや社会はこの仮想における情報操作で成り立っています。しかし現実の世界は、仮想のように簡単に物事を進めることが出来ません。ここに現実と仮想の間の大きなズレがあります。もし仮想での認識を生きる基準とすれば、現実世界とのズレから問題が起こります。
仕事やプライベートにおいて、いまは仮想に接する時間が、現実世界に接する時間を上回っています。そうすると、無変化で無時間的な脳のまま、現実を生きることになる。たとえば植物を育ててもなぜか枯らしてしまう、ということが起こります。変化に対応できない。三次元の変化を五感で把握できないからです。ディスプレイは二次元であり、どれだけリアルな画像であっても、ピクセルと座標認識のみです。そこに人間の複雑な感性の能力は必要ありません。
水彩で絵を描くとき、水の中を絵具が広がっていき、意図しない美しいニジミが出来ます。現実の変化はあまりに複雑すぎて、完全に予想することはできない。ある程度の経験則で、理想の絵をかたち作っていく。それは物理的な変化を、五感で感じながら描くことで達成されるものです。それに対するデジタル絵画は、ニジミが出来るとしても、それはあらかじめコード化されたパターンの一つです。よって失敗すれば戻ることもできる。とても便利です。しかし、それは現実ではありません。それはシミュレーション(模倣訓練)なのです。
コンピューターによる仕事は、どんなものであれ仮想の作業であり、その意味では全てコンピューターのシミュレーション(模倣訓練)と言えます。シミュレーションと現実を混同すると問題も起こってくる。シミュレーションの達人と実戦の達人の違いは、複雑に変化し続ける情報を、五感を統合する感性で高速処理できるか否かの違いです。この違いは絵を描くときであれ、飛行機の操縦であれ同じことです。現代はこの大きな違いを見失いつつあるのです。
AUTOPOIESIS 0068/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』