『争わない方法』

イラスト こがやすのり

 競争。つまり競い合い、優劣や勝ち負けを決定するということ。それには必ず判定基準が必要で、スポーツやゲームにはルールと勝ち負けの判定基準があります。その基準がないと勝ち負けや優劣は存在しない。つまり同じ基準を採用しない限り比較というものが成立しないということです。
 例えば資本主義経済は市場原理が働いていて、そこには競争がある。他社の商品を真似てより良いものを出す、といったやり方を良く見かけます。つまり故意に同じ基準に近づいて争っている。本来は独自の商品を作ることができれば、お互いに競い合う必要はないはずです。しかし競うことが深層の目的であるかのように見えるほど、同じ基準と比較の世界が展開されています。
 現代は多様性の時代です。個性がしっかりとそれぞれにあれば、重なるこはありません。それがこれからの理想。資本主義の終焉とともに「同じ基準で競う」のは過去の遺物となるかもしれません。ちなみに競い優劣を欲するのは一般に“男性的な性質”(男性に限らず)だといわれます。それは狩人の名残だという文化人類学の見方もあれば、“マザーコンプレックス”が原因だという深層心理学の見方もあります。とにかく「争いを好む傾向」は、多様性の時代と共に、ゆるやかに抑制されていくことになるでしょう。

AUTOPOIESIS 183/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

『精神と身体について』

イラスト こがやすのり
 人間には精神と身体と二つがある。そしてどちらも健康であることが望ましい。もし精神的に健康でも不健康な生活を送れば病気になるし、肉体的に健康でも精神が不健康であれば心の病気になってしまいます。一般的には身体的な健康を保つほうが簡単で、精神的な健康は見えない分コントロールが難しい。とにかく二つのバランスが大切であることは間違いありません。
 精神は見えないもので、身体は見えるもの。言い換えると「数えられないもの」と「数えられるもの」です。後者の「数えられるもの」についての情報は溢れています。しかもある程度は正確です。問題は「数えられないもの」で、この領域をほとんどないものとして生活している人すらいます。つまりただ生活しているだけではその存在が抜け落ちてしまうのが、非物質の概念(精神)であり、それを認識するには“知的な理解”が必要です。
 精神のような「数えられない」非物質の価値を日常で無視すると、当然ながら精神は不安定になっていきます。つまり数量化できるものだけを重要視する価値観が、精神の不安定をまねく原因の一つである。これは誰にでも分かる理屈です。よって全体的なバランスを回復するために、数量化できないものの価値を理解する必要があります。それは美意識や倫理観、心や思いやりといった人間に普遍的なものです。これら非物質的な価値を、物質的な価値と同等に扱うこと。これは他の動物には決してできない、人間だけが取りえる高次元のつり合いなのです。

AUTOPOIESIS 182/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『心を安定させる方法』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 絵に心の状態が現れる。たとえば前向きで積極的に描けば、絵も前向きなものになっていく。逆に不安定なこころもちで絵を描くと、その不安定さが絵の形式に現れることがあります。この原理から、そういった絵を臨床心理学の領域で役立てることも実際に行われています。これは当然のことで、たとえばイライラしている人が言葉や態度に現れることとなんら変わりません。表現とは基本的に内容によってその形式がきまります。
 心の状態と表現が等式で結ばれているのだとすれば、安定した表現を身に着けることで、逆に心を安定させることができる。もちろん逆もしかり。たとえば機械的で形式的な表現を続ければ、心も機械のようになっていきます。あるいはただ乱暴なだけの表現だと心も乱暴になっていく。つまり心の影響下にある表現が、逆に心に影響を与えていく。ここに表現と心の円環構造があります。
 心とは常に外部の波の影響を受けます。つまり船のように揺らぐ。その意味ではつねに不安定だといえます。そこは上手い舵取りをすれば安定する。しかし心の深い部分の揺れを制御することは難しい。だからこそカウンセリングなどの専門領域がある。しかし専門家に助けを求めなくても、心とつながりのある表現を安定的に続ければ、深層の揺れは自然に正常化されてゆきます。これは簡単な理屈です。つまり持続可能な自己表現を継続してきけば、心も自然に安定していくのです。

AUTOPOIESIS 181/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『幻想としての比較』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 物事は比較によって認識される。たとえば墨で文字を書く。黒い文字は紙の白との比較ではじめて認識されます。もし比較がなければ、すべて白あるいはすべて黒であり、なにも認識することができません。なので「認識は比較によってなされる」という定義に問題はありません。しかし比較のあとにそこに優劣をつけるとなると問題が発生してきます。
 たとえばどちらが多いか、あるいはどちらが小さいか、あるいはどちらが高いか。そういった基準を設けて比較したあとに優劣をつける。そしてその優劣に固執すると問題が発生します。優位性に固執するあまり、つねに比較でものを考えるようになり、さらには比較する対象(相手)を低めて優位性を保とうとする。この「優位性への固執」という現象によって、あらゆる社会的、個人的な問題が発生し、物事が停滞することは明らかです。
 個人心理学のアドラーは、優位性への固執はコンプレックスが原因だと述べています。つまりコンプレックスがなければ優位性に固執することはありません。さらには深層において自己評価が低いと、その補填として優位性にこだわることになり、無意識に相手を低めようとするということです。本来物事は、ただ存在と事実があるだけです。どちらが上とか下とかいったことは実際は存在しません。ただこだわる人の中にだけある願望としての幻想です。それを捨て去ったときに、はじめて本来的な事実としての世界が現れるのです。

AUTOPOIESIS 180/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『創造性の育成』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 画一化と大量生産によって成り立っていたこれまでの資本主義社会と企業が、創造性や多様性を重視する人材育成にシフトしはじめました。これまでの成果主義による機械仕掛けのシステムと、そこに関わる人々の心の問題が露呈したからです。人間は有機的な存在であり機械になろうとすると破堤します。またシステム自体も有機的な構造が維持できないと破堤する。いまあらゆる分野にこの問題が現れ、その場をしのぐための応急処置が施されています。
 機械じかけの生産性に対して創造性とは真の生産を意味します。機械的な生産は、既にあるものを量産することです。模倣やコピー的な生産。それに対する創造的な生産は、まだ存在しないもを生み出す、オリジナルに関わる生産です。これは人間の自我から自然に生まれてくるものであり、既知の情報を集めて操作的につくるだけでは追いつかない次元の生産です。
 このような特殊性にみちた創造性を、情報を元にした機械仕かけのシステムで育てようとしても上手くいきません。無機的なもので有機物が育たないことと同じです。創造性は創造性によって育まれる。これまでの画一化と大量生産の価値観は、多様性と創造性の社会とは相性がよくありません。これは明白です。むしろこれまで社会が無駄だとして切り捨ててきた所にこそ、創造性を育む宝が眠っている。そしてそれは個人でも同じことであり、その宝を自分の中から掘り起こす作業が必要なのです。

AUTOPOIESIS 179/ illustration and text by : Yasunori Koga
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