『一般化できないもの』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 個性という言葉は人びとの間で一般化しています。誰もが個性という言葉を共通に理解している。しかし、個性とは一般からはずれた部分を意味している。つまり「みんなと同じ」以外の部分に個性が現れます。つまり一般化できない所を個性と呼ぶ。
 一般化できない性質である個性が、自分と他人を区別する指標であり、それは他人がどう頑張っても得られないものです。例えば真似するのが得意な人でも、完全にそれを真似しつくせない性質のものが個性です。よって個性というものを本人が捨て去ろうとしても、そんなことはできない。なぜなら個性こそが自分そのものだからです。
 その人固有にある性質である個性は捨てることができない。また他人が完全に真似ることもできない。そんな個性を無視して一般化しようとしても無理があります。上手くいかないし、むしろ失敗の連続になってしまう。一般化が難しい性質は、受け入れてその個性に従うことで、本来の自分らしさや自由が生まれる。つまり一般化できないことを受け入れた時に、真の自分が現れるということなのです。

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『ポリコレと自由』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 ポリティカル・コレクトネス、略してポリコレ。これは特定のグループに不快感を与えないような表現を選ぶこと。人種や性別などによる偏見的を含まない中立的な表現を用いることです。いまこのポリコレはクリエイティブの世界で逆説的な問題を発生させています。つまり、あまりに中立的で保守的に創作するので、出来上がったものに面白みがないという現象が世界的に起こっています。
 そもそも表現とは一つの意思の表れであり、そこには精神的な決断と表明があります。そして意見には必ず真逆の意見がある。相補的な関係が必ずある。それが現実の世界です。絵で言えば影を描かないと光もないことと同じです。すべてを平均化したものは動きがなく作者の判断も見えず、表現する意味すら疑問になってきます。もちろん差別や偏見はあってはならない。しかし創造の世界においてまで、現実の中立性を強いるのは問題です。
 平均とはそもそもある一定の数によって見えてくる確率的な概念です。たくさんの数が集まったときに初めて現れるバランスです。よって一つ一つを取ってみれば平均より上だったり下だったりする。これが現実です。しかしひとたび平均を基準とすれば、一つ一つがその枠から出られなくなり自由もなくなる。現在のポリコレの問題はこの「確率論のパラドクス」に陥っています。現実の世界には「倫理的中立性」が必要です。しかし創造の世界にまでそれを強いるのは行き過ぎです。ここには数々のファンタジー作品がテーマにしてきた「創造の世界(ファンタジア)に現実が介入する」という問題が発生していのだと思います。

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『失敗の受け入れ』

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 失敗を積み重ねることによって成功に到達する。これはいわゆる「失敗は成功のもと」ということです。別の表現を使えば「失敗は成功の構成要素」だといえるでしょう。成功は失敗を含み持つことで成立している。逆にいえば、失敗のない成功はありえない。
 そもそも失敗という概念は成功という概念に支えられたものです。成功のない世界には失敗もないし、また失敗のない世界には成功もない。いつ何をやっても成功しかしないのなら、成功に意味も実感も発生しないでしょう。よって失敗を受け入れずに排除すると成功もなくなってしまう。
 失敗とは時間と関わりがある。つまり「取り返しがつかない」ということ。後戻りできないから失敗がある。そして成功もまた然り。後戻り出来る世界には失敗も成功もなく、あるのは暫定的で未決定なイミテーションだけです。失敗を避け、受け入れを拒めば時間は空回りする。そしてすべてが未決定なままとなる。後戻りできない世界で失敗を受け入れることで、成功が形づくられるのです。

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『AIと個性』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 とうとうAIが絵を模倣する時代にきてしまいました。それと同時にAIに模倣されない個性とは何か、という問題が浮き彫りになりました。AIは絵の傾向を読み取り再現する。よって画一的で規格化されたものはすぐに模倣されてしまいます。AIが模倣しづらいものはパターン化しにくいもの、偶然や例外に満ちたもの、つまり「生きているもの」です。
 例えば天気を正確に予測することは未だに難しい。人間の身体に起こることもまだまだ予測できてない。これらは自然の動きであり偶然や例外を含む世界です。数学が及ばない世界を含んでいる。それに対してAIは数学の世界。なので数字に還元できない世界ほど再現が難しくなります。つまりデジタルのものは簡単に模倣してしまうが、アナログだと難しい。
 デジタルとはつまり「切れている」という意味です。情報が連続していない。間の細かい情報は切り捨てている。しかし本当の世界は情報が連続しています。それゆえ情報量も多く偶然の要素も高い。固有性とはこのようなリアルな環境から生まれます。その意味では工業製品は個性そのものではありません。個性とは表面的な違いではなく、「成長の仕方」つまり「生き方」や「動き」の違いが個性なのです。そして常に成長し続ける「生きた情報」ほど模倣が難しいのです。

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『棲み分けの理論』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 生態学には「棲み分け」という言葉があります。例えば川魚のイワナは冷水を好むので、最上流に生息し、それより下流にヤマメが生息し争いが避けられる。この状態が「棲み分け」です。これは言い換えると「環境の違い」があることによって、性質の違うもの同士が争うことなく存在できることを示しています。逆にいえば、本質的に性質の違うもの同士が、同じ環境を求めていると争いが起こるということです。
 人間は他の動物と違いそれぞれに個性を持っています。性質がいろいろと違っている。なのでもし性質の違いを無視して、みなが同じ環境を望むとすれば、争いや問題が起こります。生態学の世界では、性質の違う生物が一か所に集まると爭いや排除が起こると言われています。つまりみんなと同じ環境や同じ状態を望むことが、争いや絶滅の原因になっているということです。その意味でいえば、一般的な価値観という一点にみんなが集まることは、実は危険なことだと考えることができます。
 人には個性があり、その個性に適した環境を見つけることが大切です。自分にピッタリと当てはまりラクに過ごせる場所がある。そういった環境は大多数では形成されていません。必ず「棲み分け」は適切な数によって安定しています。ダーウィンが生態的地位(ニッチ)と呼んだ、自分に合った場所を探し出す。ただ単に「みんなと同じ」ではなく、自分自身にあった環境を見つけることが、争いやストレスから解放された生き方につながる。そのためにもまずは、自分の「本来の性質」を見つめなおすことが大切なのです。

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